人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり

慶應卒、山陰在住、一人暮らしニートの戯れ言

「SFC生はレールから外れてる」は、半分ほんとで半分嘘

先日、TwitterSFC出身の学生が「レールから外れた」人生についていろいろと議論していた。

そもそも「レールに敷かれた人生」って何か、という定義から始まりそうな話だが、

結論から言うと「確かにエリートの本流のコースからは外れてるかもしれないけど、十分道からは外れてないんじゃないかな」とは思うのだ。

 

まず、議論の論点からおさらいすると、

先日、SFC在学中の幼稚舎上がりの大学生が大麻かなんかで捕まったところから議論が始まった気がする。

で、どっかで、卒業後フリーランスという名のニートしてる人(違うかもしれない)の発言かなんかが発端で、「SFCはレールに敷かれていない人が多い」って話になり、

それとは別に、スクールカーストの上位だった奴が大手企業から独立したことを表明するツイートをしたのも油を注いだ。

 

ここから導き出したぼくの仮説は、

今のSFC生は、「大手企業なり、イケイケのベンチャーなりか知らんけど、そこで守ってくれる存在を捨てて自分で食べていくしかない状況に追い込まれる」ことを「レールから外れる」と定義する

ということなんじゃないかなって思った。

もっと雑な言い方をすると、「転職したり独立したりしたら、それはアウトローだ」と宣言してるみたいなもんだ。

 

こんな風潮があるのは、とても幻滅することだと思う。

 

真逆のベクトルから、なぜこれがショッキングかということを述べていく。

 

まず、SFC生スピリッツ、みたいな意識高い話をすると、

正直、SFC生と言えば起業家精神、みたいな風潮は以前からあったことだと思うが、

今ある環境を捨てて独立することを「道を外す」みたいな卑屈な言い方をする

これは昔のOBが見たらすごく残念だと思う。

何より、それは「道を外した」ことじゃない、苦学生で在学中に闇金に手を出して裏社会に入った、みたいな人たちに大変失礼である。

 

一方で、「そんなアウトローさ」にある種の中二病で希少価値を見出だそうとカッコつけてる奴らにも寒気がする。

SFCに来る奴らは、エリートの本流の家庭に生まれた人も多いと思うので、

基本的に道筋に従って変なことをしなければ成功は約束されているだろう。

にも関わらず、あいつらは「カッコつけたい」がために、「転職する自分」「起業する自分」を演出する。

 

ぼくはゲームのアカウントで他大だったり高卒の人と接点あるけど、

今どき、ホワイトカラーの四大卒の学生で転職を経験しない奴らなんてほとんどいないだろうし、

おそらく慶應生が最も見下すであろう、地方の頭の悪い土木のDQNだって、自分の事務所を持ってたら立派な経営者だし、

そもそも「転職経験」って全然珍しくないから売りにならないと思うんだよね。起業経験はまだしも。

 

だから、あの議論を見ていて、彼らは何に価値を見出だしたいのかさっぱりわからなかった。

 

 

ただ、、ぼくがこれはあるな、って思ったのは、

転職だったり退職休職って「自分で自分の人生を変える大きな決断をする」ことじゃない。

それができるというのは、自分にとっては大きな価値のあることだな、ってのは思った。

ただ、それはあくまで「自分の財産」にはなるけど、「他人に自慢する」ことではないのかな、という。

そこを履き違えた議論はしたくないよね、って、思うね。