偏差値が20違うとコミュニケーションが成立しないってのは半分嘘で半分ほんと
ネット上であったり、ヘイトを煽るような本を発行してる出版社の本であったり、いろいろなところで、「偏差値が20違う相手とはコミュニケーションが成立しない」という都市伝説が謳われている。
物は言いようで、早い話東大卒のエリートで経営者と、教育困難校出身で中学校レベルの勉強も怪しいギャルとだと、教養のレベルも違ければ共通言語も異なっていて、話が通じない(これは例が極端だが)というような話である。
あくまで個人差があるが、このセオリーは、すべて当てはまるとは思わないものの、正しいと思える部分もあるんじゃないかと私は思う。
幸いなことに、筆者は東京のある程度裕福な家に生まれて、勉強も人並み以上には頑張り、だからこその最終学歴慶應義塾大学SFC卒業ということになっている。
大学の周りの連中は、慶應だけあって異次元レベルなお金持ちもいれば、中流のやや上位層くらいでお金には困らないけど贅沢はしてない、みたいな層もいるわけだが、
おしなべて、しっかり脳みそを使って会話しているという感じがある。
文系の人間が普通の世間話をするときもある程度論理立った話し方をするし、
言葉一つ一つ取っても丁寧に選んでる気がする。
何より、良識(一般常識、とはまた違う、英語で言うところのcommon sense)があると思う。
オンラインのコミュニケーションで他人の写真を使うときに一声かける、人の写ってる写真をネットに上げていいか確認する、とか。セックスはちゃんとコンドームをつけて避妊をする、公共の場所ではやらない、とか。そういうところがしっかりしていた。
そんな私が、この間まで数か月ほどネットで知り合って遠距離で付き合ってたガールフレンドがいた。
その子はお世辞にもレベルの高い学校とは言えない商業高校を出て高卒で働いてる子だった。
ネットで共通の話題もあったし、お互いに似ているようなところがあって意気投合したし、別にコミュニケーションできなかったわけではないのだが、、
やはりどうしてもしんどいな、と思ったのは、先ほどちらっと書いた写真のネットリテラシーが崩壊してたし、あとセックスに対するモラルハザードが起きてた。
カラオケ行ってカラオケボックスでおっぱい揉ませるって聞いたときはちょっと開いた口が塞がらなかった。
あんまり高卒がとか高校のレベルがとかいうと別れた彼女に失礼なのだけれど、、、カラオケも趣味としては全然いいんだけどさ、、公共の場所でそれは、、って思ってしまうよね。
ぶっちゃけ、話し方から滲み出る教養のあるなしとか、わかるけどそれは目をつぶれるし、
文化的背景の差から出る共通言語のなさもなかった。お互いにオタクだし似たようなメンタリティだったし。
ただ、モラルの差、コモンセンスの差、これは恋愛をするくらいになると大きな影を落とすと思う。別れた直接の原因ではないけれど、たぶん付き合い続けて結婚したと考えると、耐えられなくなっていると思った。
ちなみに、共通言語は埋められるってのは書いた通りだが、
教養ある話し方、言い回しというのは、トレーニングや努力で埋まると思う。
本を読んで語彙を増やしたり、いろいろな立場の人と接することで人生経験を増やせば、少しは振る舞いが変わってくるかなって、別の環境に恵まれなかった知り合いを見てると思った。