人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり

慶應卒、山陰在住、一人暮らしニートの戯れ言

一生保守的な生き方をするなら、田舎に生まれるのもアドバンテージなのかもしれないけど

先日、島根の知人と話し込む機会があり、「東京に帰る実家があるのが妬ましい。羨ましい、じゃない。妬ましい」という言葉を頂戴した。

実際に地方に住んでみて、あるいは東京のでかい大学で地方出身勢の話を聞いてみて、それはすごくそうだと感じる。

首都圏、ことさら東京に生まれた、ということは「生まれ持った才能の一つだよ」と彼は言うが、実際にその通りだと思う。

その理由について今さら触れる必要はないだろう。これまでこのブログで書いてきたこと、全てが当てはまる。

 

一方で、、地方民が都会で育つ運命に恵まれず、地方で生まれ育つことのメリットって果たしてあるんか、と考えたときに、

決して何一つない、ということはないと思う。

 

例えば、、、

大学進学が経済的にも可能な中流家庭に育った場合、

地方だと競争が激しくないので、高校受験も上位3分の1に入れていればトップ校に入れるし、

トップ校でも上位4割以内にいれば地元の大学には入ることは難しくないだろう(県外の旧帝大に入るなら別だが)

基本的に田舎だと地元の「駅弁大学」(不快に思われたら申し訳ないが)でもトップエリートな訳で、公務員なんかになっちゃえば安泰だし、

うまく地元の経済界のドロドロした世界にゴマすって取り入れば、地方政治の舞台に立つことだってできるだろう。

 

極端な話、公立中学で300人中100番目くらいのほどほどな成績でも、

地元で一生を過ごすなら、田舎ではトップレベルに安定した地位を保てるのだ。

 

都会じゃそうはいかない。

エリートの中高一貫校出身者が東大や早慶、医学部の過半数を占め、

残りのわずかな一角に中堅どころの一貫校、公立上がりでもトップ層1割に入るかどうかのエリートでパイを争っている。

東京生まれの人間が人生のゴールを「大企業や中央省庁の出世争い」というトップクラスに設定してしまうと、その中では激しい競争に巻き込まれてしまう。

島根では鼻高々な人生を送れるような実力でも、東京だったらMARCHくらいに入れたら御の字、それも厳しいだろう。

 

東京の競争に巻き込まれず、まったり暮らしたい保守的な生き方をするなら、田舎だったら楽だな、という結論にはなるのだが、

前述の彼はそれでは満たされず、東京に出たいと繰り返している。

気持ちはわかる、東京はすごいところだ、応援したい