人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり

慶應卒、山陰在住、一人暮らしニートの戯れ言

山陰から北陸って泣くほど不便だよねヤバくない?

私事だが、僕は島根スサノオマジックという地元のプロバスケットボールチームを応援している。

残念ながら一部リーグではなかなか実力を発揮できず、二部リーグへの降格がかかった残留プレーオフに挑むことが決まった。

その対戦相手が富山のチームなのだが、

山陰から富山って遠すぎる、との嘆きがTwitterでめっちゃ聞こえてくる。

 

よく考えると、山陰地方と北陸地方ってかなりアクセスが悪い。

松江から富山まで公共交通で行こうとすると、羽田まで飛行機→京急と山手線で東京駅→北陸新幹線で6時間か、岡山までやくも→新大阪まで山陽新幹線→金沢までサンダーバード→富山まで北陸新幹線で8時間。

車で行くとなると米子道中国道舞鶴若狭道北陸道で9時間と出てる。泣くほど遠い。

 

もともと出雲地方は神話の時代から越の国との関連性が深く、北回り航路の頃も活発な交流があった。流石に冷遇が過ぎる。。

 

ということでフジドリームエアラインズは出雲小松便飛ばすんだよやくしろよ。

神奈川の県庁所在地は横浜だけど、「神奈川文化圏」の中心は町田だと思う

よく、神奈川県側に大きく突き出した市域を持つ東京都町田市のことを「神奈川県町田市」と揶揄する人がいる。

まあ一種のジョークみたいなものだが、意外とこれが的を射ていると思う瞬間がある。

 

まず、神奈川県に住んでいる人に「どこに住んでるの」か聞くと、

横浜市民はほぼ例外なく「横浜です」と答える。(栄区とか旭区の人は遠慮気味に「横浜の端っこです」って言う)

川崎市民は地域にもよるが「川崎です」と言うか「武蔵小杉です」「溝の口です」のように駅名で言う。これは横浜の田園都市線の「あざみ野です」にも通じるものがある。

横須賀・鎌倉・湘南西湘地域の人はそれはそれで「横須賀です」「逗子です」「鎌倉です」「藤沢です」「茅ヶ崎です」「平塚です」「小田原です」のように自分の市の名前で名乗る傾向がある気がする。

 

で、住んでるところを言うときに「神奈川です」って言う傾向があるのは、自分の市が「神奈川である」こと以外にパッとしたイメージがない、小田急線や相鉄線の沿線の厚木市とか海老名市とか大和市とかその辺の人間に多い気がとてもする。

 

で、そういった「神奈川である」ことが自分のアイデンティティ小田急相鉄文化圏民の人間って、買い物や娯楽で比較的町田に遊びに行く傾向がある気がする。

 

故に町田は神奈川県に存在し、神奈川県の中心都市として今日も君臨するのである。

AO入試は足切りを導入した方がいいんじゃないかな?

慶應SFCの入試の特徴として、「AO入試」って代物を日本で最初に導入したことがある。

「特定のスキルにおいて才能のある、そしてそれがSFCに入ることでさらに伸ばせる人材を集める」ことが目的だと自分は解釈しているが、AO入試という単語が一人歩きして、地方のいわゆるFランク大学の人集めに使われたり、SFCもAOでも小手先の入試合格術みたいのがしばしば問題になっている。

 

SFCのAOは、スポーツなどの才能があったり、学術的なコンクールで優勝してたり、そんな逸材が集まるし、

合格者のほとんどがSFCを第一志望にして努力した子たちだが、

たまーに「慶應義塾大学の学生としては」恐ろしいほど「学力や教養が欠如している」子が存在する。

SFCのAOって、学力試験がない分、結局ある程度何かの実績があれば小手先の対策でなんとかなるので、

日常会話レベルでしか日本語の理解がない帰国子女とか、逆に英語も数学も中学生レベルの運動バカとかでも入れたりするのだ。

 

一般入試組でも英語と数学単科で受かったりするし、

必修も統計の授業があるくらいなので、

楽な単位や実学の単位ばっかとった卒業生は胸を張って「慶應出ました」って言えるほどの学力や教養がなく、在学中にも蓄えられなかった残念な人間がいっぱい出てくる。

これは「慶應義塾大学」という組織にとってはブランドイメージの低下にならないだろうか?

 

前にも言ったけど、慶應に来る以上「社会階層的な多様性」を目指すのは難しい。

けど「学力問わずに多様性」というのは大学の質を下げると思う。

「ハイソな層における」「多様な人材」を集めたいなら、ある程度学歴フィルターがあっても悪くないよねって感じるな。

渋谷新宿だけがトーキョーじゃない

東京って街は奥が深い。

よく、真の東京人かを判定するのに「トーキョーと言われてどこを想像するか」という話題を振ると結構いろんな答えが返ってきて面白い。

だいたい西側のターミナル駅(プラス京葉線地下ホーム)を想像する人はお上りで、東側の繁華街オフィス街を想像する人は東京っ子で、山手線の内側って言い始めるやつはなんか違う次元の存在って感じがする。

 

ここで、独断と偏見による「トーキョーのこの街にはこういう人種がいそう選手権」を開催する

 

 

・新宿→よくも悪くも上京者が最初に触れるオーソドックスなトーキョー

・渋谷and高田馬場→オラオラした学生風情の闊歩するトーキョー

・池袋and後楽園and葛西臨海公園→トーキョーの地元の高校生が遊びに行くトーキョー

・原宿and舞浜and国際展示場and秋葉原→田舎の子が遊びに行くのトーキョー

・上野and御徒町and日暮里and千駄木and巣鴨→トーキョーの地元のジジババが遊びに行くトーキョー

・浅草and業平橋and両国→外国人観光客が遊びに行くトーキョー

・銀座→外国人がなぜか何かを勘違いしてしまったトーキョー

 

・品川→地方出身リーマンのトーキョー

・五反田and麻布and六本木→マジもんのヤバいやつのトーキョー

溜池山王and虎ノ門and丸ノ内and八重洲and茅場町→トーキョーを支配する者のトーキョー

・新橋and有楽町→オンのトーキョーとオフのトーキョーの境界線

 

 

・神田and御茶ノ水and神保町and湯島→象徴的な独特の雰囲気がトーキョーの佇まいを残しているトーキョー

・四谷and市ヶ谷and駒込and王子→静かな雰囲気を残したトーキョーの片隅っぽいトーキョー

・青物横丁and新小岩and葛西→上とはまた違う理屈でトーキョーの片隅っぽいトーキョー

 

・中野and高円寺and吉祥寺→トーキョーに染まっていくお上りのトーキョー

・蒲田and曳舟and東陽町→上とは別の意味でお上りのトーキョー

・恵比寿and二子玉川and自由が丘andたまプラーザ→スイーツマダムのトーキョー

・戸越銀座and武蔵小山and三軒茶屋→トーキョーを勘違いした人に侵食されてしまったトーキョー

豊洲and新浦安and武蔵小杉and新百合ヶ丘→上とは違った方向でトーキョーを勘違いした人のトーキョー

・ふじみ野andひばりヶ丘and聖蹟桜ヶ丘→なんか調子に乗らず妥協したお上りのトーキョー

 

今日はこんなところかしらね。想像してると楽しい。

 

 

 

SFCは社会不適合者キャンパスだっていうけど、大方の場合あいつら生きてくスペックはある

慶應SFCのことを「社会(S)不適合者(F)キャンパス」なんて言って、「自分社会不適合者なんですよねー」なんて自虐するSFCのハイスペックニートをたまに見かける。知り合いにも何人かいる。

だいたいそういうやつらはプログラムコードが書けたりデザインができたり学生団体やっててコネがあったりするので、ニートを自称しながらフリーランスで生きていけるタイプの人間味だ。

確かにあいつらは就職できなかったし、たぶんまともな社会人として働けてるイメージもないけれども、それでも何か役割を与えられたら自分のスキルを生かして何らかのニーズに貢献できるだろう。

 

そういうやつら、スペックが慶應のスタンダードを越えていて、ただ尖りすぎてて「一般の社会の枠組み」に入れないだけで、「ニッチな社会」の隙間の需要にフィットする奇才の奴らを「社会不適合者」と呼びたくないのだ。

 

では、SFC潜在的にいるであろう、ガチのマジの社会不適合者って、いったいどういう人々なんだろうか。

 

答えは一つではないだろうが、仮説として、「東大落ち京大落ちで最初はマウントを取っていたけど、段々と居場所を失ってフェードアウトした難関高校出身者」

「スポーツの才能があってAOで意気揚々と入ってきたけど、体育会で翼を折られてそのままフェードアウトしてしまったアスリート」

SFC特有の何でもできる雰囲気を取り違え、自分探しから戻ってこれず漂流してしまった高学年ノンゼミ勢」

こういった人たちは、だんだんと学校に来れなくなり、さもするとギャンブルやアルコールに溺れ、フェードアウトしていく、

社会にSFC生としてカウントされない、彼らこそが、真のSFC社会不適合者と言えるだろう。そして、残念ながら、こういう学生は少なくないと思う。

 

いわゆる、おそらく広汎性発達障がいと双極性障がいを併発していて、才能があるけどそれが持続せずに留年して、卒業して職がない、けど全然生きていける、そんな「自称社会不適合者」とは別の世界がある、って、彼らには言いたいよね。

 

もちろんそういった障がいを持っているSFC生を否定・誹謗する意図はないことは理解いただきたい。何ならブーメランが刺さる。

野党の国会審議欠席で一番失望してるのは、迷った末野党に入れた無党派の有権者だと思う

いい加減政治ネタを投稿しまくってるし、そろそろ自分の思想をカミングアウトすると、

自分の政治思想は、ネトウヨ思考2割と、保守本流思考3割と、中道左派思考3割と、欧米的社会的リベラル2割、といったところだという自負がある。

当然政策によって支持不支持が変わるけれど、安倍内閣は一貫して不支持の無党派層、といった認識で間違いない。先日の選挙は野党に入れたが、与党にも政策や人柄に信頼できる政治家はいる。

 

そんな中、荒れ狂う政局の中で、野党が審議ボイコットというとんでもない手法に出ている。

僕としてはこれは大変幻滅しているし、票を入れた有権者として強い憤りを覚える。

 

実際安倍さんの人柄は個人的に信頼できないし、自身の目的である憲法改正を目指すための政治手法があまりにも強引で、正直自民党の候補者に票を入れるのには抵抗があった。

でも、今の野党はただひたすら「安倍憎し」「自民党憎し」で、今の政権を引きずり下ろすこと以外になにも考えていない、って印象を受けてしまう。

それくらいだったら、外交面や経済面でそれなりの成果を出している(ドナルドトランプや習近平と対等に渡り合えているのは評価されるべきであろう)安倍内閣の方が、民主党時代に(震災などの不幸もあったが)目立った功績を上げることができなかった野党政権よりも期待値が高いんじゃないかなとは思う。

何より、せっかく票を入れた人の期待を裏切ってしまうような政党には、正直いい印象を持てない。

 

もちろん自民党自民党で安倍さんに意見が言える政治家が出てこなかったのは大いに問題だよね。石破茂はあと3年早く出てこなきゃいけなかったし、岸田文雄は一般人の知名度が薄すぎる。。。

関西の異常なまでの金券屋信仰もそろそろ過渡期なのかなぁ

関西人の知り合いが東京に出たときに「みんなSuicaPASMOで生活しててすごい。初めて買った」って口にする事例を複数回聞いたことがある。

もちろん、関西にはICカードが存在しない未開の地なんだとかそんなことはなくって、ちゃんとICOCAとかPiTaPaっていうICカードは存在するし、基本的にほとんど全ての鉄道会社や大部分のバス会社で利用可能だ。

しかしながら、関西人は定期範囲外のお出かけで電車に乗るときに、あまりICカードを利用しないと聞く。

 

普通の東京の人が聞いたら驚くこの風習だが、理由は意外と明快だ。

 

関西地方の私鉄やJRの大きな駅前に立つと、だいたいの駅に金券ショップがある。

これは関東でもある程度見る景色かもしれないが、これに加えて関西だと、各駅停車しか停まらない小さな駅でも、小さな金券の自販機がある。

私鉄沿線民がちょっと繁華街にお出かけするときは、ほとんどの場合ここで回数券のバラ売りを購入して、100円くらいの小銭をケチるってのが関西のスタンダードだ。

 

こんな関西人のケチ臭い電車の乗り方、鉄道会社としては面白いわけはなくって、

例えば近鉄電車だと、バラ売りでとんでもなく格安で手に入れる輩が多かった「名阪マル得きっぷ」という名古屋と大阪の特急が使える回数券を廃止してしまったし、

阪急電車も回数券をカード式にしてバラ売りができないようにすると今日発表した。

 

表向きはICカードやネット予約を使って欲しいってことだろうが、

まあ本音はセコいやり方でグレーゾーンな電車の乗り方して本来の利益を得られないお客さんへの怒りがあるのだろう。

 

裏を返せば、関東人が「楽だから」「便利だから」で使ってるICカードがなかなか定着しないほどには「金券屋で回数券のバラ売り買う」信仰が根強い関西人のドケチさをとっても感じるエピソードだとも思う。