人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり

慶應卒、山陰在住、一人暮らしニートの戯れ言

AO入試は足切りを導入した方がいいんじゃないかな?

慶應SFCの入試の特徴として、「AO入試」って代物を日本で最初に導入したことがある。

「特定のスキルにおいて才能のある、そしてそれがSFCに入ることでさらに伸ばせる人材を集める」ことが目的だと自分は解釈しているが、AO入試という単語が一人歩きして、地方のいわゆるFランク大学の人集めに使われたり、SFCもAOでも小手先の入試合格術みたいのがしばしば問題になっている。

 

SFCのAOは、スポーツなどの才能があったり、学術的なコンクールで優勝してたり、そんな逸材が集まるし、

合格者のほとんどがSFCを第一志望にして努力した子たちだが、

たまーに「慶應義塾大学の学生としては」恐ろしいほど「学力や教養が欠如している」子が存在する。

SFCのAOって、学力試験がない分、結局ある程度何かの実績があれば小手先の対策でなんとかなるので、

日常会話レベルでしか日本語の理解がない帰国子女とか、逆に英語も数学も中学生レベルの運動バカとかでも入れたりするのだ。

 

一般入試組でも英語と数学単科で受かったりするし、

必修も統計の授業があるくらいなので、

楽な単位や実学の単位ばっかとった卒業生は胸を張って「慶應出ました」って言えるほどの学力や教養がなく、在学中にも蓄えられなかった残念な人間がいっぱい出てくる。

これは「慶應義塾大学」という組織にとってはブランドイメージの低下にならないだろうか?

 

前にも言ったけど、慶應に来る以上「社会階層的な多様性」を目指すのは難しい。

けど「学力問わずに多様性」というのは大学の質を下げると思う。

「ハイソな層における」「多様な人材」を集めたいなら、ある程度学歴フィルターがあっても悪くないよねって感じるな。