人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり

慶應卒、山陰在住、一人暮らしニートの戯れ言

東京のエリートが考える「地域活性化」はほんとに地域を活性化するのか

※この投稿では学生時代の専攻を思いっきりdisります。関係者は気分を害されることこの上ないのでブラウザバック!

 

ぼくは慶應の学部時代に、いわゆる「地方活性化」について学ぶようなゼミにいた。

実際に近畿地方のある街には何回もフィールドワークに行き、偉そうに名刺持って地域のおっちゃんとバーで議論交わしたりもしてた。

けど、そのゼミはそんなことしていながら、市役所や地方マスコミや地銀なんかへの就職はほとんどなく、

メガバンクやら通信大手やら広告大手やら、東京の一流企業に人を輩出していった。

 

この時点でぼくは違和感を持った。

地域活性化ってなんじゃ、と。

 

そもそも地域活性化っていう言葉の定義はなんなんだ、と。

 

これはいろんな意見があると思う。

ある知り合いの言葉を借りれば、「地域にお金を生み出し、経済を回すこと」だし(この人は社会人やりながら副業でコンサルの自営業してる人

別の人は「地元の人、都会の人、老若男女集まった人々が活発な議論を通して地域の行く末について侃々諤々すること」と言っていたし(この人はコミュニティスペース作りで実績がある人

また違う人は「イベントやお祭りで人の活気を生むこと」って言っていた。(こいつは広告代理店に就職した

 

話がそれた。

数ある地域活性化の定義の中で、仮に最初の「地域の経済を回す」が地域活性化だということにしよう。

これを目指すとすると、極論を言ってしまえば、ラウンドワンとイオンを建てる、とか、スタバつきの図書館を建てる、みたいな発想が浮かぶ。ハード面なら。実際に地方の人間はこれを求めてる。

ただ現実的に難しかったり、そもそも人口がいない僻地だったりすると、ソフト面で取れる手段が住民の侃々諤々な意見交換であったり、イベントやお祭りなのかなぁとも思う。

 

ここで、である。

 

実際にぼくは東京で「この地域が元気になるために」あーでもないこうでもない、とやってたわけだが、

いざ地方に住んでみて、一年「貧乏な地元住民」をやってみて、

「町のいいところ発見ワークショップ」とかやっても全く意味ないな、ってすっげー思うもの。

 

実際に地方の人間はでっかいイオンやゆめタウンのゲーセンや映画館に行きたいし、ラウンドワンで遊びたいし、そのための移動手段の車が欲しい。そのためのお金が欲しい。

 

だから、都会のエリートが「こうしたら町はよくなる」って恩着せがましく「商店街の復興ガー」とかやるのは果てしなく無駄なのである。

 

チェーン店信仰とかイオン信仰の話はまた今度書くね