人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり

慶應卒、山陰在住、一人暮らしニートの戯れ言

県外からのお客さんは地元の美味い店に接待するけど、一人でまったりするならチェーン店に行きたい

先日、海外赴任に出てた親が一時帰国してて、部屋の片付けとかしつつ接待してた。

やっぱりあんまり山陰に(というか日本に)来ることもないし、

昼は地元の洋食としゃぶしゃぶの高級店に、夜は和牛の焼肉屋にいってご馳走してもらった。

 

そん時になんかも話したんだけど、

私の住んでるのは比較的昔ながらの中心市街地で、いわゆる観光客向けの喫茶店や洋食屋や蕎麦屋なんかは多いエリアだが、

夜間人口が少なく、いわゆる全国チェーンのファミレスやカフェなんかはほとんど立地していない。

 

そりゃ、まちづくりについてなんやかんや学生時代に専攻してたわけで、

遠くからのお客様を地元の昔ながらのお店に連れてってお金を落としてもらうのは使命みたいなところはあるけど、

そうじゃなくて、自分一人で、夕方の出勤時間まで時間を潰すとか、週末に地元の友人とお茶するとか、

そういうオケージョンのときって、なんとなく地元の喫茶店だと落ち着けないところはあるんだよね。。。無機質なチェーン店の方が居心地がいいのだ。。

この感覚、親にシェアしたところ同意を得られなかったのだが、若い皆さんはどうだろう。「接待には地元の店で満足してもらい、プライベートではチェーン店で落ち着きたい」って感覚。理解していただけるだろうか。。。

アスリートの夜遊びってどこまでがセーフでどこまでがアウトなんだろうね

私がプロバスケットボールBリーグ」のファンだということは既に何回か述べてきたけど、

バスケットボールファンとしては悲しいニュースが世の中を賑わせている。

日本代表として、日の丸を背負ってアジア大会を戦っていた選手たちが、代表のウェアを着たまま歓楽街で遊んで不適切な行為をして、大会を追放になった問題。

当該選手は選手としても若手の有望株が多く、所属チームのファンをはじめ、バスケットボールファンは競技自体のイメージダウンにも繋がる出来事に大変ショックを受けている。

 

ところで、今回の問題はいくつか論点があり、また前提になる話がある。

 

まず、バスケットボール男子日本代表に関する話題で一つ。

バスケットボールの日本代表は、国内リーグが統一されておらずぐじゃぐじゃになってた状態から一から建て直しを図っている。

競技レベルはまだまだ世界のトップレベルには到達しておらず、自国開催の東京オリンピックも出場が危ぶまれている。

そんな中、先日のアジア予選で、世界でもトップレベルの強豪オーストラリアの代表に、新たに日本に帰化して代表に選出された選手や、アメリカの大学リーグNCAAに所属しNBAのドラフト候補にもなった選手を擁してジャイアントキリングをしたときは界隈は大きく盛り上がった。全然報道されなかったけど。

 

他にも、NBAに育成契約で契約を結んだ選手がいるなど、上げ潮ムードな中の水を差すニュースだったので、界隈には大きく失望が広がってるのだ。

 

で、今回の問題の論点だが、

アジア大会という、日の丸を背負い、選手の規律が求められる大きな大会で

・日本代表のジャージを着て歓楽街に出て

・キャッチの口車にも乗せられ、ホテルで不適切な行為(意味深)をした

 

というわけだ。

 

ここからは私の私見だけれども、

若くて血気盛んな男性アスリートが、オフのプライベートの場で、夜の歓楽街で女抱いて遊びまくるのは、別に悪いことでもなんでもないと思う。

子供の教育によくないとかなんか生理的に無理とかそういう声はあるかもしれないけど、私は独身男子の夜遊び肯定派の男なのでその辺は許容範囲内だ。

 

ただ、今回の一件が、日本代表として日本国民の期待を背負って戦っていた舞台であったことと、

それにも関わらず、代表のジャージで歓楽街に出かけ、自分を自制できなかったことは叩かれるべきだと思う。

 

ただ、世間の目って夜遊び、特に海外でのやらかしにすっげー厳しいから、その辺の批判にバスケットボール界隈が耐えられるか、そして何より、選手が過ちを償い、プレーで取り返してくれるか、となると、暗雲が立ち込めてしまうよね。

 

ただ、どうしてももちろん、今バスケットボールがマイナースポーツで暗い話題しか目立たないって状況、今回のやらかしが国際大会だったことを差し引いても、

「歓楽街での夜遊び」ってことだけで必要以上に叩かれるのは、バスケファンとしても、遊びたい年頃の男の子としても、モヤモヤするところはあるよな。。。

いつだって現場で対応する人は大変だって話

先日、甲子園に高校野球を観戦する目的で青春18きっぷを使って関西に行ってきた。

結局目の前でチケットが売り切れて当初の目的は果たせなかったのだが、仲のいい先輩に鳥貴族をご馳走になったり近鉄電車の乗り潰しをしたりして遊んでた。まあそれは本題じゃないので割愛する。

 

帰りの汽車で岡山を過ぎて備中高梁に着いたところで、不穏なアナウンスがあった。

なんでも、その先の区間で倒木があったとのことで、当日中の運転再開の見込みが立たなくなったとのこと。

乗ってた普通列車はもちろん、後続の特急も運転打ちきりで代行バス輸送ということになっていた。

当然現場は大混乱。なんとかいらっしゃる駅員さんが対応し、代行のバスを出すもきっぷの検札もあってないようなものでそのまま動いている新見駅まで連れていかれた。

お盆シーズンとあって、最新の情報を確認しながらクレーム処理に追われる駅員さんも大変だなぁと思うし、

何より、特に急にJRが呼び出して手配した観光バスの零細企業が大変だなぁと思った。

零細の観光バスの運転士さん、「とりあえず高梁の駅まで来て新見まで送って」という雑な指示のもと駅に来て(JRも対応に追われてたししゃーないが)働かされてすごく気の毒だった。

 

ちなみに、その零細会社、例の豪雨で被災した真備町の会社だったらしく 

運転士さんと少しだけ雑談をしたけど、現地の痛ましい状況を話されてて、まだまだ復旧には時間がかかるのかなぁと心が痛くなった。

 

 

ちなみに、これとは別件で、高梁で足止めされてるのとほぼ同刻に、嗜んでる某位置情報ゲームが緊急メンテに入っていて、TwitterのTLが大荒れになっていた。

その少し前から鯖落ちや処理落ちが頻繁に発生していてユーザーのヘイトが溜まっていた状況下だっただけに、TLでは怒りが大爆発。お盆などの移動が多くなる時期のメンテという位置ゲーとしては致命的な状況で、公式Twitterには罵倒が殺到。普段運営を擁護してたユーザーからも批判の声も多く聞かれた。

 

メンテが明けたアフターケアまでTLを眺めてたけどお盆のなか対応に追われてたエンジニアを庇い、事態が深刻になるまで静観していた運営の上層部に非難が集まっていたのだが、

こういうときに一番苦しい思いをするのはフロントのエンジニアであり、末端の駅員や、その下層の下請けなんだな、って社会の構図をなんとなく感じてしまい、心が痛かった。

 

ちなみに、その後の帰り道はというと、終電をつかまえた上に帰れなかった区間も代行タクシーを手配してくれるというJRの神対応で無事帰宅できたことを報告しておく

 

余所者の拒絶は、むしろ東京の方が激しいという話

盆にはまだ早いけれど、先日一週間ほど東京に帰省していた。

東京の友人たちや実家の家族と話をする中で、

地方創生の文脈でよく聞かれる「田舎では余所者に対して地元の人が排他的になる」という構図は、案外と東京でも当てはまるのではないか、というように感じるエピソードがあったので紹介したい。

 

わたしの生まれは東京でも世田谷区という、いわゆる世間でいうと高級住宅地とされるエリアで、母親は生まれも育ちも代々世田谷のお嬢様だ。

もっとも、彼女には、世田谷がおしゃれエリアとして成金や勘違いスイーツ(笑)が住み着く前から世田谷で暮らしてたってプライドがものすごくあるようで、

私が会話の流れの中で「東京に住む人は恵まれてる」みたいなことを言った瞬間に何故かファビョりはじめた。

曰く、「世田谷の町が、地方から上がってきた人に汚されてる」「私たちの暮らしがあったところに土足で踏み込んできて、飲食店でゴミを撒き散らし、地元の本屋を潰し、生活を変えてしまっている」という強い言葉で嘆いていた。

 

私にはこれが、地方でよくその土地のドンみたいな人が言う、「オレたちの町が、チェーン店で、都会から来たよそ者で、別のものに変えられてしまってる」って言葉と、猛烈に重なるのだ。

チェーン店や、外部からの侵入者で、町が破壊されていくのは、東京でも地方でも同じなのだ。

 

もう一つエピソードがある。

東京で路線バスに乗る機会が3回ほどあったのだが、

たまたまかもしれないが、そのバスは客が空いた席に着席するのを待たずに発進した。

田舎のバスに乗っていると、車内の転倒を防ぐ観点だろうが、どんなに遅延しようと必ず全員座ったりつかまったのを確認してから運転手さんはバスを動かすし、客も止まるまでは席を立たないので、

それがカルチャーショックだってことをTwitterで呟いたところ、これも世田谷に長い方に突っ込まれた。

「たまたま乗ったバスを東京の総意として見ないで欲しい」その言葉には、地方から出てきた人がたまたま目にした東京の姿は真の東京じゃない、というような、見下した嫌悪感が滲んでいた。

ちょうど都会の人が地方の車窓を見かけて呟いた「これだから田舎は」という言葉への地方民の激しい反発を見るようだった。

 

これらの話から見えることは、都会の人間は、田舎から上がってきて都会のコミュニティへと入り込もうとしている人間に対して、とても排他的で、嫌悪感をもっている、というケースがあり得ることだ。

よく地方創生の民は「田舎の人間は都会から来て自分達のコミュニティに入ろうとする人間に冷たい」という対立構造を作ろうとするが、

これは都会田舎が対になってるのではなく、両方とも、単純に「自分の心地よい内輪の中に入ってくる外部の者を受け入れられない」ということに尽きるんじゃないか、ってことだ。

 

あ、前半にちょっと書いた、「チェーン店が壊しているもの」は都会にも田舎にもありそう、って気づきは、また考えがまとまったら書きます。

 

中学生の国語の作文問題は、大人と接したコミュニケーションの数だけ上達するという仮説

今やってる自学塾のバイト以外のところで、高校受験生の親御さんと話す機会があった。

聞くところによると、国語の記述問題、作文問題が苦手ということ。

その方の分析からすると、お子さんは同世代との短文でのコミュニケーションが中心で、親とのコミュニケーションも、文章で言葉を発しない、単語だけで「これやって」とか「あいつウザい」とか、そういう発話が多いんだいう。

それが長い文章を読む、書くことを阻害しているんじゃないか、とのことだ。

 

多くの教育関係者が、長くて論理立った文章を書くためには読書などで活字に触れることが大切、と指摘している。

それは絶対に間違いないことだとは思う一方で、なかなか長い文章を読むのが苦手、という子も少なくないだろう。

そこで大切になってくるのが、「単語で話す」ことから「文章で話す」ことを意識することだと私は思う。

 

ここからは経験を踏まえた持論だが、

同年代か自分より下の年代が相手だったり、家族くらいの親しい関係だと「単語で話す」傾向が、

自分より年代が上の人が相手だと、「文章でで話す」傾向があるんじゃないかと感じる。

社会人で「報告」「連絡」「相談」のホウレンソウなんて言い方をするが、

部活動なんかで先輩や顧問の先生に練習状況などなどいろいろ報告連絡相談する際にはおそらく敬語を使って文章でコミュニケーションを取るだろう。

インターネットの世界でオフ会に参加する、みたいなケースも、だいたい年長の企画者に質問したりするときは単語だけのコミュニケーションでは成り立たないはずだ。

 

年上の人との上下関係や斜めの関係で、言葉の力、表現の力はつくと思うし、

そこで培った語彙力や表出力は必ず国語でものを書かせる問題にも活きてくる、というのは飛躍した論理であろうか?決してそうではないと信じたい。

だからこそ、習い事や部活や、それこそオンラインの関係でもいいから、中学生には上の世代とのコミュニケーションを積極的に取って国語力を上げていってほしいと思う。

偏差値が20違うとコミュニケーションが成立しないってのは半分嘘で半分ほんと

ネット上であったり、ヘイトを煽るような本を発行してる出版社の本であったり、いろいろなところで、「偏差値が20違う相手とはコミュニケーションが成立しない」という都市伝説が謳われている。

物は言いようで、早い話東大卒のエリートで経営者と、教育困難校出身で中学校レベルの勉強も怪しいギャルとだと、教養のレベルも違ければ共通言語も異なっていて、話が通じない(これは例が極端だが)というような話である。

 

あくまで個人差があるが、このセオリーは、すべて当てはまるとは思わないものの、正しいと思える部分もあるんじゃないかと私は思う。

 

幸いなことに、筆者は東京のある程度裕福な家に生まれて、勉強も人並み以上には頑張り、だからこその最終学歴慶應義塾大学SFC卒業ということになっている。

大学の周りの連中は、慶應だけあって異次元レベルなお金持ちもいれば、中流のやや上位層くらいでお金には困らないけど贅沢はしてない、みたいな層もいるわけだが、

おしなべて、しっかり脳みそを使って会話しているという感じがある。

文系の人間が普通の世間話をするときもある程度論理立った話し方をするし、

言葉一つ一つ取っても丁寧に選んでる気がする。

何より、良識(一般常識、とはまた違う、英語で言うところのcommon sense)があると思う。

オンラインのコミュニケーションで他人の写真を使うときに一声かける、人の写ってる写真をネットに上げていいか確認する、とか。セックスはちゃんとコンドームをつけて避妊をする、公共の場所ではやらない、とか。そういうところがしっかりしていた。

 

そんな私が、この間まで数か月ほどネットで知り合って遠距離で付き合ってたガールフレンドがいた。

その子はお世辞にもレベルの高い学校とは言えない商業高校を出て高卒で働いてる子だった。

ネットで共通の話題もあったし、お互いに似ているようなところがあって意気投合したし、別にコミュニケーションできなかったわけではないのだが、、

やはりどうしてもしんどいな、と思ったのは、先ほどちらっと書いた写真のネットリテラシーが崩壊してたし、あとセックスに対するモラルハザードが起きてた。

カラオケ行ってカラオケボックスでおっぱい揉ませるって聞いたときはちょっと開いた口が塞がらなかった。

あんまり高卒がとか高校のレベルがとかいうと別れた彼女に失礼なのだけれど、、、カラオケも趣味としては全然いいんだけどさ、、公共の場所でそれは、、って思ってしまうよね。

 

ぶっちゃけ、話し方から滲み出る教養のあるなしとか、わかるけどそれは目をつぶれるし、

文化的背景の差から出る共通言語のなさもなかった。お互いにオタクだし似たようなメンタリティだったし。

ただ、モラルの差、コモンセンスの差、これは恋愛をするくらいになると大きな影を落とすと思う。別れた直接の原因ではないけれど、たぶん付き合い続けて結婚したと考えると、耐えられなくなっていると思った。

 

ちなみに、共通言語は埋められるってのは書いた通りだが、

教養ある話し方、言い回しというのは、トレーニングや努力で埋まると思う。

本を読んで語彙を増やしたり、いろいろな立場の人と接することで人生経験を増やせば、少しは振る舞いが変わってくるかなって、別の環境に恵まれなかった知り合いを見てると思った。

 

都会で疲弊してる社会不適合高学歴のセカンドキャリアを考える

最近始めた塾の先生のアルバイトがけっこうハマっている。

 

塾講師と言っても、中学生だけ見てる個人経営の小さな自習塾の助手みたいなポジションなのだが、

知的産業だけあって時給が山陰基準だとあり得んほど高く、

教える内容も中学生の学校のテストレベルなので塾講師未経験者でも全然ついていける感じがしている。

 

こっちは田舎なので、優秀な子は公立中学校から普通科の高校に行くのがほとんど。成績が真ん中より下の子達は実業高校に行くケースも多い。

そんな中、いくら県庁所在地で県内のエリートが多い地域とは言えど、県外の中高を出て、ましてや留学経験もあって、首都圏のいいとこの大学を出てる(これは生徒には言っていなけど)のは、それはもう生徒には刺激的なんじゃないかと思ったりはする。

 

自分の場合、SFCで大きな勘違いをして壁にぶつかり、病気もあって今の町に落ち着いてるところがある。

SFCをはじめ、都会の優秀な大学に入れたはいいものの、周りの環境に適応できなかったり、自分の体調をコントロールできず、大学をドロップアウトしたり不本意な就職で疲弊したりしている学生は多いはず。

そんな彼らのセカンドキャリアとして、塾、特に中学生を教えてるところっていいんじゃないかなって思ったりした。

教えるのが嫌いじゃなければ、中学生くらいだったら高校以降で勉強嫌いだった大卒生でもカバーできるし、

ある程度の大学を出てれば、勉強に自信がなくても大学の名前で取ってもらえるとこあるし。

もちろん、塾の先生ってブラックなとことホワイトなとこの落差が激しいから、慎重に見極める必要はあると思うけれどね。

 

ちなみに、最近感じた塾の先生をしてる恩恵は、文章力がついたことです(笑)

最近は主に国語をメインに指導してて、教科書読む機会が増えたんだけれどこれが侮れなくて。

個人の趣味でゲームの二次創作の短い小説を書くんだけれど、まあ短期間に語彙力と表現力がすごく膨らんですげーなと思いました(笑)